土曜日のTBS報道特集で、墓を用意を出来ずに、行き場の無い遺骨が、首都圏だけで推定100万柱も存在しているとレポートしていました。これは、明治時代に出来た墓地埋葬法が原因で、遺骨の処理に関して融通が利かないわけです。私なんか、墓なんて金の掛かるものはいりません。
津田山の緑が丘霊園は駅隣りで良い所ですが(^_^;)。あそこも結局は市の商売ですから。死んだ後、抽選ならともかく、金出してあんな所に入れて欲しいなんて全く思わない。私は、息子達には、暇な時に錦江湾に戻って散骨してくれと言います。
老いを看取るということに関して言えば、実は子供が二人いてもどうしようもないんですね。子供が四人くらいいて、やっと役割分担して、親二人を看取れる。ただ、二人の子供というのは、社会を永続させるために、最低限の数ではある。それすら維持出来ない社会になったから日本は困っている。
人はなぜ長生きしたがるのか? 「死にたくない」というのは、生物としての根源的な本能と言えるでしょう。殺されたくないし、死への恐怖は、ただ自分が物理的にそこに存在しなくなるという現象面より遙かに重く、息苦しいものです。
豪雪地帯のニュースを見て、80歳を過ぎたお婆さんが、雪かきも出来ずに途方に暮れている。もちろん、それを助けるのは文明社会の義務です。
息子や孫が帰ってくるわけでもないのに、限界集落で一人暮らししている高齢者が日本には大勢いる。それを助けるのは文明社会の義務だと思う一方で、残念ながら私たちの国の財政は、それがもう出来ない所まで来ている。その文明社会の義務を果たすために、次世代に付けを回す権利はわれわれには、たぶんない。
日本には、沖縄みたいな、命こそ宝という発想もあるけれど、どうもそれを確保できそうに無いと解ったら、われわれは退却戦の手はずを整えなければならない。残念なことに日本人は、一度おっ始めた戦争を畳むのが異様に下手くそな民族です。
やがて医学の進歩が、加齢に伴う問題を全て解決する時代が来るでしょう。すぐそこまで来ているのかも知れない。けれど残念ながら今はまだそうではないし、今日まで背負ってしまった負の遺産もある。私たちの社会は、自らが良かれと思って招いた長寿社会に侵略され、潰されようとしている。一方で子供は生まれず、負担はますます厳しくなる。
人が働いた年月より長い期間、年金を支払うなんていうのは企業にも国家にも不可能です。
人はなぜ長生きを望むのか? それは死にたくないからだ、という単純明快な理屈を変えなければならない時機に来ている。私たちは、老いて自然死するという、文明社会に於いて最低限守られるべき人間の権利を捨て、新たな地平を目指すしかない崖っぷちに立たされている。
大石英司の代替空港 - 長寿社会の退却戦 (via toronei)(via edieelee)